みやこのしこう

通称みやこ目みやこ科みやこ属みやこの、あんまりいないらしいみやこという生き物の生態のひとりごと綴じ。でもメジャー寄りではないけどオンリーロンリーってほど稀有ないきものではない凡俗。珍獣程度だろうか、ありふれてる虫程度だろうか、自分ではよくわからない。

自分総集編

たぶん、いやきっと、間違いなく去年の自分が今の自分を見たら誰これと言うだろう。主に見た目と行動で。もう現職だったな。


一昨年の自分が去年の自分を見ても、本当に自分?と聞くだろう。やっぱり行動、多少見た目で。まだ現職じゃなかったな。


一昨々年の自分が一昨年の自分を見ても、わ〜すごいよくここまで変わったね〜と言うな。中身だな。前職始めてたな。


4年前の自分が3年前の自分を見たら、やっぱり変わっちまったんな〜と言うだろう。


5年前の自分が4年前の自分を見たら、すげー鬱治ってるやべーとか言うな。でもコミュ障は治ってないけどな


6年前の自分が5年前の自分を見たら、マンガ描いてる…だと………?!野宿ができてない…だと………とか言いそう。


7年前の自分が6年前の自分を見たら、絵を描いてる……だと………とか、ついに児童向けに陥落か…とか言いそう。


8年前から7年前を見たら、ついにクソオタ開業しやがったwww誰にも言わずこっそり東京日帰りとかwwwおまwwwぶふぉwwwとか言うな…


9年前が8年前を見たら、四苦八苦でも踏み出していることに勇気をもらうだろうし、

10年前が9年前を見たら、自由という存在を知り、感動し戦き世界がひっくり返ったことに希望を見出すはずだ。

11年前は、白黒だったね。日々少しずつ芋虫の蠕動のように少しずつ這って動いていたはずだけど、だからスタートまで辿り着いたはずだけど、あまり記憶がない。


毎年毎年、たぶん来年の自分は今と変わっちまうんだろう、今失うのが怖くてしがみつきたいものは、別れの予感を感じているからなんだって、そんな風に毎年恐怖に駆られて描いたり動いたりどっかに行っていた。

ああ自分は来年もこの場でこの愛したものを、誠心誠意心から愛して描きたいと思ったものを、それが与えてくれた感動を、来年も描いていられるんだろうか。

失わずに変わらずにいられるんだろうか。

この創作の場にいられるんだろうか。

こんなに愛しているのに。

こんなに愛しているのに。

自分はこの愛を裏切らずにいられるのか。

そんな恐怖。

無意識で答えを知っていた。

自分は変わってしまう。


そのスピードが、振れ幅が、年々加速度が大きくなっていて、変化の大きさに、

恐怖に駆られるから、やろうと、とにかくやろうと、変わってしまう前にできなくなる前にやらなくては、と実行して、間に合ったものもあれば間に合わなかったものもある。質よりも量、スピードと、とにかく勢いだけで筋とかシナリオだけの未熟すぎるものもたくさん、たくさん。

できないまま果たせないまま、未だにいつか、と思っているものもある。

その程度しか身につかなかったものも、できなかったものも、知らないものもたくさん、たくさん。

腰を据えて作品を形作れる友人や知人は、何年先でも一本一本をちゃんと完成させて、どうしてそんなに、「自分はこれから先もそこにいる」覚悟なのか信頼なのか感覚があるんだろう。それとも、作りながら求めながらそういう風になれるようになっていったのか。

なのにどうして自分はこんなに流動的で

なのに自分のことばかり書いて、おまえはほんとうに自分のことが好きね、変わって、愛したものを変えて、自分も変えて、なにが好きなの


 でも変わった先は、密かに憧れながら自分には無理だと言い聞かせていたものに近付いていた。

密かに胸のうちから腹から湧いて出てきた予感が、自分の内にあったもの。

それが感じさせる変化の予感は、結局いつも正しい。

なりたいもの、憧れていたものには、すぐはなれなくても、1年か2年か、何年も積み重ねれば、なれる。

自分の中に全く存在しないものにはなれなくて、そもそも憧れて自分には無理だと妬み諦める対象にもならない。

何が存在しているのか、は実は、大いに人それぞれ違う。

だから自分の憧れを誰かが叶えてくれることもない。自分は、もうこれは人の行った古びた道では?なんて心配することもなく、これは己にしか感じられない実感を信じて、ただ突き進めばいい。

何度も何度も愛して、楽しんで、笑って泣いて、この場にいたいこの空気をいつまでもふれていたい、そう感じたときが、その楽しみの絶頂なのだ。

その予感は終わりの予感だ。負けたくないといつも思うのに、

重力のようにそれは、変化を音もなく連れてくる。いつの間にかその波に乗っ取られている。

変わる。変わる。

そう思うからいけないのか、黙殺してい続ければいいんだろうか、いやでも、それは、やってくるから、従わずには、

重力のように、

あんなにいとおしいのに

永遠にしたいのに



永遠を願うたびに、永遠は存在しないんだと告げる声を、自分は過大評価してないだろうか

永遠は無理だと、諦めさせるのは自分なのか世界の摂理なのか、


おまえはどっちだ






共に生きることはできないだろうか





最近は、専門がほしいと思うんだ。

専門を積み重ねる仕事がしたいなぁ、いや今はまだ、自分にできる究極の肉屋にまでなってからがいいけど。

あと、芸事とか、自分の体や言葉や思想を駆使して、何かを多彩に表現する歴史も好きなんだなあと思うので、飽きるまでうろちょろしてよう。

沼は待ってくれるし、時間だって1,000年も2,000年先も命はあるんだし。

何かを極める専門のドアが自分と出会えるその日まで自分を仕込まなくては、できないことが多すぎて多すぎて


そんな風に思う最近。


アカギおもしれーっす。一巻から天才だなっていうか、最初の戦略が福本せんせーの書きたいことで神回ジャンバラヤなんじゃないかと思う一巻。