ついに自分のアルバムを見た
久しぶりに大掃除を再開させまして
本棚のひと隅にあった幼少期のアルバムを
ついに
ついに見たのです
自分のブッサイクさに失望したくなくて、アルバムなんて5歳か6歳だかから決して開くまい絶対見ない〜で通してきたので、初めて見た。
卒アルとか親が毎回買うけど開いたことない。
愛されてるとは思うんだけど、自分がそれに耐えられなくて
でもこんなに変わって、過去を突き詰めて、そういうガキだった自分はどういう子供だったのかなあと
なんか保育園の頃は予想外に貧相で細長いガキだった。男児。完全に男児。
んで限りなく写真から逃げようとして嫌な顔してる。
ピンのときや、写真見てない時はなんかぐにゃぐにゃ笑ってた。TPO気にしない自由さは昔からであった。
でもこの女児度0の格好から見るに母親だな、かなりストイック清貧理想に近づけるタイプだったんだな〜と今ならおも。忙しくて髪や服汚されるの洗う暇とかなくてとにかく機能性重視な見た目しかできなかったんだろうけど、完全男児。
バラティ系の番組居間でかかってるの見たことないし
健康的で正しくて部屋綺麗なのはいいんだけど、あれで攻撃的かつ支配的かつセンスが無いのやめてくれたらうれしいんだけどな〜最近は前よか超超ましだけど
でも小学入学したての日付のとき、なんか微妙におかっぱまで伸びてて、なんかかわいい花の服着てて、そのときだけ女児に見えた。
せめてそれを維持できたらまっとうな人間になってたかもしれないのに…
というかガキなんて格好と髪次第で性別なんていじれんのな。確かに女児って言われたことないし。
でもそれ以降かわいらしい格好したことないし、小学高学年あたりの写真の頃には、は?人間死ねみたいな死んだ生意気な目してた(笑)
まあね!写真に映った自分がクソブサイクでかわいい女の子じゃなかったからね!
逆走だよ〜
保育園の頃は、お絵描きの時間にクリスマスツリーの絵だけ描いてて(他の描ける対象として認識に上がる代物は技術的には描けなかった)、
(今塗ってる金色や銀色は、他の人間の目にも金色銀色なんだろうか。自分の目に黄土色や紫として映ってるこれが誰かの金色銀色に見えてたりしないだろうか)
(字はなんでこの音でこの形にされたんだろう。発音のどのくらいの誤差までこの音として扱われるんだろう。由来とかは聞いてない、どうしてこの一音を文字に留めることに決めて、その形をこれにして世界が広がったんだろうか。別な音を拾って、別な形の字の世界は何か代わり映えするんだろうか)
とか疑問すぎて疑問すぎて、誰にも答えもらえなかった記憶あるわ〜
今の自分なら、
光は粒子が動き回ってできる波、波長が作っていて、それを認識する目の器官が同じ仕組みでその波を捉えるから、少なくとも明度のバランスは、視覚器官の精度の差はあれどおおまかに同じ。
とか、
その理由で他の地域、歴史では違う字や音、伝え方があるんですよ。
とか、答えられるんだけどな〜
小さい頃の自分の疑問が、今の自分の感動したものにつながってるっていうのが、繋がってるというか自分なんだな〜ってしみじみする。
でもそういう疑問に向き合ってしっかり答えてくれる他人がいれば、自分は人間嫌いこじらせなかったのかな〜
わからんな〜
いいけどね〜
やはり本は正義、言葉は力、支配は呪い
中学すぎると集合写真以外一桁しかないけど(写真映るの死ぬほど嫌いだしね、特に他人と映るやつ)、絵に描いたような萌はあはあクソオタブタ男だった。
いやーあれは自転車で通学するだけで職質されるわ。
なんか社会人近くなってメンタル落ち着くまで春とか毎日のように職質されてたしなー
いいかげんキレて無視して逃げたら、まっすぐ生きてそうな正義感男に追われて、まあ教科書財布と菓子パンの袋しかなかったから連中ポカンとしてて、
毎日毎日通学するだけで無実の人間呼び止めて点数稼ぎとかバッカじゃねーの累計どんだけ俺の時間奪ってんだよ、ついでにおかげで遅刻も増えましたー見た目判断で呼び止めて無実の野郎捕まえて今日もあやしい奴の素性を確かめたっててめーらの満足感のために冤罪で時間奪うんじゃねーよ給料もらってんなら仕事しろやむしろ奪った俺の時間に金払えや仕事しろバーカ、とか逆ギレして名前と署聞いてクレーム入れた思い出がある…
でもそれ以降職質されなくなったわ…なんでだろ
自分スッキリしたからかな
さてクローゼットの使わないデッドスペースにしまおう