ぬすっとさんと、とくさん
それを、みやこは盗っ人さん、と呼んでいる。
自分は誘惑に弱い。
あれこれを食べたい、楽をしたい、憎らしい、ちょっとくらいならいいではないか、あの子がほしい、朝もっと寝ていたい、夜もっと起きていたい、遅刻たってよいではないか
ちょっとくらいならよいではないか
いいやダメだよ、ルールってやつが怒って取り締まりに来て晒し上げられてしまう
見つからなければよいではないか
ちょっとくらい
そういう欲望に、今日ぜんぶ「ぬすっとさん」と名前をつけた。
どこにでもいて、油断したら「みんなやってるんだから」なんて言って隙に入り込んでくる
心を盗む
あれがほしいこれがしたい
時間を盗む
理性を盗む
体を盗む
もっと悪くなればほんとうに人のものを盗んだり、更に悪くなれば常習犯か中毒か依存か、泥沼になってしまう
人生を盗む
欲望が
盗っ人さんは、いけない。
ルールや常識、倫理に反している。
けれどわかってるけれどやめられないんだ
そういう弱さはとても、ワガママに素直で、人間的というか子どもか動物のようで、
人情、哀切、優しさ、弱さ、憎めない
でも着実に確実に本当に盗んでいく「盗っ人このやろう」
でも自分がそれに染まるのはやはりいけないのだ。
何故だろう?
強くないと、周りとやっていけない。自分だけでは生きていけないから、やはりいけないのだ。
じゃあ、もしくはどうやって対峙すればいいんだろう自分の欲と哀切と。
(諦めずに、失敗しても失敗してもとりあえず諦めないで挑戦するしかないかな)
なんてぼんやりしっくり来ないままぐぐぐしていた自分に本日、答えのように舞い降り現れてくれた某漫画名シーン。
「『白い壁には手をつかない』
『畳の縁は踏まない』
私はそういう「積もっていく」という考え方が好きです。迷ったら自分の中に積もっていってほしいのはどっちかーーーそうやって選んでもいいんじゃないですか?」
みやこは刹那刹那で生きてきて、ちゃんと将来を社会に出るまで考えない愚かなまま欲望に率直で、短気だったけれど
ああでもいいな、と思った
心から良いもの、本当に美しく、価値があり、ずっと誰かが渡そうとして、誰かがきちんと受け継いで続いてきたもの、
長く息をし続け、仕込み、絶やさず、形を変え生き続けてきたもの
積もっていく、引き継いでいく、良いものを渡したい、きっと作者の末次さんも、誰か何か色々なものから魂を受け取って、いいものを伝えたいと命を削って描いているのだ
そういうものをいいなと感じるようになってきた
だから、下手に迷ったり嫌な心当たりがあって、自分から濁るものを抱えてくすんでしまう原因になるものは、手放そう
手放す勇気を、一度二度失敗しても許して、諦めないで、ちゃんと生きられるような積み重ねをしよう
一度二度、二度より三度、三度よりもずっとずっと、いい習慣が身につくまで何度でも何度でも、同じくらい失敗しても、同じだけ成功させて、
甘くて優しい環境でもこんなに悪い自分は一体どれだけ性悪なんだろうどうしようもないんだろうと、思うけれど
どれだけ中毒でも依存しても歪んでいても悪くても辛くても、よい方向へと正す努力を諦めないで
足らぬ足らぬと騒ぐ「盗っ人さん」が、いつかお腹いっぱいで幸せだよ、と自分の積み重ねてきたものを認めて満足できるように、自分の努力を積み重ねる
自分の盗っ人さんが、笑顔で穏やかに鎮座できる日まで
ちなみに同巻で、
「生みの苦しみを知りなさい
知ったうえで覚悟を持って人を許しなさい
短歌でも文学でも何でもです」
「私の中にはたくさんの先人の言葉が
受け取ってきた宝物があるので
受け売りをする為に教師になったのですよ」
も至言でした
ちはやふるはじっくりゆっくり味わうように読める大人の読み物ですね
三笠後からちまちま読んでてまだ20巻あたりですから…