満月だったから
満月でした。
満ちる時です。
しかも大潮なのでみちみちミッチミチ。
満月で大潮の大盤振る舞いですよ。
つまりどういう状況かって、ちょうど太陽と月と地球とで一直線に並び、間に挟まれていることになります。
距離にして約1億4960万km+約38万5000kmで約1億5000万km。なにこの式くそアバウト。
それでもkmから光年に換算したら15万分の一光年とかなので、宇宙って広いですね。
意外と読まれてるのだなあと思ったので、今日は時節柄、それとネタ的にアークトゥルスの話でもしようと、細かい数字とかめちゃくちゃぐぐりました。がんばった。
グチャグチャしたウンチクひけらかし自慢かよめんどくせーなって人は飛ばしてね。
特に書く気なかったんだけど、んーじゃ書くか〜って時の方がすごい分量長くなる。なんでだろうねぇ、楽しいからいいんだけど。
読む方の身にもなれよ。
9月の星座おとめ座スピカのすぐ近くで、スピカとは夫婦の片割れ、旦那さんの役がうしかい座アークトゥルス。
大体地球から36.7光年の距離。遠いよね。
あたたかめのオレンジ色で、北の空の中心北斗七星の柄からカーブを描いた所にある。
だから北斗七星とアークトゥルス、それが分かれば大まかな自分の位置がわかる。
旅する人にとって、大体の位置がわかるというのはありがたく、ほっとする。細かくなくて大まかだからいい。そのくらいがいい。
それで旅人の星、航海の星、幸運の星として、春の大三角形のひとつにも数えられている。
逆に言えば「迷う・目的地がわからない、見失ってしまった」というは誰でも不安になるね。
どんどん嫌なものに侵されていく。
迷子になるのが好き、という人もいるけれど、それは迷子の不安感やスリル、未開拓の感じか何かが好きでそれを求めていて、その「迷子」がゴール、目的地。
迷子が好きな人に、色んな邪魔が入って迷子になれないよ?何から片付けてどうしたら迷子になれるんだい?って、迷子への道を取り上げたら、その人は不安になってしまう。多分ね。
だから、ほんとうにほんとうの迷子は不安だし、道しるべはありがたい。
「そんなの関係ない」
と言えること、思えること。
それは何かを犠牲にして何かのために頑張ろうとしていることだと思う。
何かを些事だと判断して、関わることを避ける。目を瞑る、粗末にする。
そういうことをしていると、いつかそれを見失ってしまう。
それは自分だったり家族だったり、身近なものだったり、もしくは常に犠牲にされて踏まれる被差別な存在が多かったりする。いつもいるから、いつもしてるから、多少ぞんざいにしても大丈夫。そんな感じで。
「関係ないから大丈夫」と言う相手は恋人なり仕事なり、ちょっと背伸びして気張っていい自分を見せたい相手が多かったりする。
それは自分をよく見てほしいから。
でもずっと背伸びしてたら緊張して疲れるし、無理をして病気にもなりやすい。
そういうのは、きっと落ち着いて深呼吸して、ゆっくり自分の好きなことを掴む前に、周りからあれこれ叩かれて否定されて枠を用意されて、「自分じゃないものにされてしまった」結果なんだろうと思う。
好かれるために自分から選んで努力したのかもしれない、考える暇もなかったのかもしれない、ただ優しくてがんばり屋で少し寂しがり屋の努力家なんだろう。
けれど、他人は自分じゃないから、自分が想像した他人からの評価は全く違ったりする。
だからたくさん傷つく。たくさんたくさん傷つけられて、傷つけて、そのことにまた自分も傷つく。
自分と他人は違うから、見える部分も一部だけ。
相手の気持ちを想像しても、重なるのはほんの一部だけ。
違う基準や評価、ものさし、色んな人やものや環境、背景が混ざってみんな、そうやって1人の人間ができているから、「自分が想像した相手の気持ちや反応」は、実は相手に「自分の気持ちや願望が反映している」だけ。
だからきちんと相手の心を聞いて、自分の心も伝えて、わかりあえるよう努力をして、
本当に自分と他人の気持ちが重なること、一部でも共通だと、一致したと、感じられることは、尊くてうれしい。
ほんとうはとても貴重なことだ。
「そんなの関係ないから大丈夫」
が、本当に関係なくて大丈夫なことはあまりない。
だって、一番身近な自分と、それに関わることだから。
関係ないから大丈夫、と他人のために自分を捨てて尽くし続けることは、自分自身が迷子になって不安になって傷ついて暗やみで足元も見えずにうろうろすることと同じ。
だから、目的地を見失った迷子。
アークトゥルスの加護が要る。
まあ、そんなの関係ないと言う相手がこの例通りだったらの話だけども。
満月は満ちるとき。
昔からよく満月に何かが起きるとか、そんなおとぎ話も多いけれど、それはたぶん感情や波長、気分が高まるから。
だから出歩いたり普段しないことをして何かに出会ったり、
ずっと溜め込んでいたものが出てきたり、
子供だって満月大潮によく出てくる、
満月とは、そうやって、日頃自分が何を大事にした何をおざなりにしてきたか、その結果が周りや自分からあふれて出てきた気持ちとしてつきつけられる、
いわば自然の定期的小テストの時分なのだと思います。
いくら忙しさや機械に囲まれてても、人間の身体は自然だからね。
アークトゥルスは旅人への幸運を祈る星。
みやこはアークトゥルスじゃないし、正義善悪のジャッジもできないけれど、
アークトゥルスや灯台のように、迷っている人の足元を照らして、どこに何があるのか
どの道はどんなものにつながっているのか
なら少しは照らせる、はず。
調子悪かったり距離感を図り間違えたりすることもあるし、
それが具体的にどんな道があるか、道の本数や在りかについては知恵と経験の薄さであまり頼りにならないけど、既に見つけられた道の状況判断なら、多少は…たぶん。
アークトゥルスの下、彷徨えるみなさまの幸運を、平穏を、難しい傷が少しずつ癒せることを、ひっそり祈ります。
ところでアークトゥルス、
ねえアークトゥルス、
これはただのオマケなんだけど。
表面温度4,290K(4016℃)、年齢4.6×10の9乗(46億)、大きさは太陽の24倍、
とても大きく結構年をとった星アークトゥルス。
星は最初、たくさんの水素(全元素の95%ほぼ水素)がぼんやり集まって雲のようになり、
数が増えて動きが激しくなり熱くなる。その量が宇宙からの圧力に負けなければ、溶けるように燃えるように小さく小さくなるのが最初の核融合で、30番目の鉄までの軽い元素が作られる。
だんだん大きくなって、何段階かで中心の核融合で大きな元素が作られてどんどん質量が増していく。
そして何種類もの元素が街のように大地のように層のように、延々と休まぬ心臓のように燃え続ける恒星は、
最初は青白く速く速く燃え、だんだん赤、オレンジと、そのたびに星は新たな元素を生み出し、重くなり、重くなり、
最後は恒星の中心部の重力に表面の殻が耐えきれずに、自分の重さで崩壊を起こす。
最期に何光年分も吹き飛ばす巨大な巨大な爆発をして、宇宙に元素を撒き散らす。
それが超新星爆発。
いくつもの星が生まれ盛り自分の重さで死んでいく、超新星爆発できるほど重い星は少ないけれど、単純にそれを知ったみやこは哀しくて老いて切なくて美しいなあって、超新星爆発が好きになっただけ。
爆発するほど重くないのは白色矮星になって冷えて小さいのになってすごい重い(中心の核が重い)とか、爆発後に中性子でできた中性子星になったり、中心に物質がありすぎてブラックホールになったりね、とてもすごい。俄な発想を遥かに超えている。
その元素が地球にも降り注いでみんなの体を作るから、よく私たちは宇宙の子供なんて、宇宙本では有名な言葉。
ねえアークトゥルス、この世界を味わえるのは、美しいし、楽しいし、きっといいことだ