みやこのしこう

通称みやこ目みやこ科みやこ属みやこの、あんまりいないらしいみやこという生き物の生態のひとりごと綴じ。でもメジャー寄りではないけどオンリーロンリーってほど稀有ないきものではない凡俗。珍獣程度だろうか、ありふれてる虫程度だろうか、自分ではよくわからない。

恋愛脱却。自分の向こう。(修正しました)

3/15

久しぶりに開いて、寝落ちにしてもひどい状態でぶん投げすぎててもう何も怖くない。

すいませんでした。文章からわかる通り、人目を気にして取り繕わないとどこまでもクソな奴です。

自分。自分。自分語り。ただ話したい自分のこと。自分のことならいくらでも話せる。人と話してるときは常に聞き役だったくせにね、実はこんなに話したがりの人の迷惑気にかけない奴だったなんて。

一皮剥けばどうなってんだかドス黒ぇなぁ、

申し訳なし。


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だらだらと続いている。

今日(昨日)は数年ぶりの方ととある経緯でオフ会をして、知り合いも結構増えたのだが、親子で同じ趣味なので参加という方々が2組いて、

こんな家庭があるのかと、ひどく、じわじわ来てしまった。深く考えてしまった。

子と共通の趣味を持ち、わいわいきゃっきゃと親しむような趣味に特化した家庭。

仲の良さ、趣味の肯定、もちろん限度やそれぞれの事情、取り決めはあるのだろうが、それにしたって。




それでこんなことになっている。

ついでに今日だけで去年1年分並にスケブ描いて、アナログでの描き方を考え、帰ってから2年前のネタをネームにそこそこ描き起こした。


寝れなくて、今日は色々諦めた。

こういう日はスパッと諦めたほうがましだ、そういうわけで、こう。




みやこの家は共働きで、経済的にはそこそこ。苦労はしていない。

ただ、知らないことには無頓着な親だったのだ。


中学高校は無人の祖母宅にいるみやこを仕事帰りの母が迎えに拾い、週の半分はホカ弁だった。

正直晩飯が最速で7時半で、8時9時が定時だったので、惚れた男が

「6時晩飯じゃん?」

と言ったときは

「あ゛???」

と信じられないものを見る目で見た。

なんだそれ本気で意味がわからないし、みやこの感覚的にはおかしい。異常。普通じゃない。ありえない。


朝飯は牛乳と菓子パンが定番、特に5個入りのメロンパンが安くて好物で「いつもの」だった。


甘いのは大好き。いくらでも入る。

祖母の家は無人で、食べるものは月一の仏前のお菓子、たまに母の買ってくれていたお菓子しかなかったから、あればすぐに平らげ、あとはコーヒースティックのような袋入りの砂糖か角砂糖をよく食べていた。

従兄弟一家がお盆に来て、住んで、帰った後はアイスがあって幸せだった。

お小遣いをもらって自分で買いに行くという発想はなかった。

1度飢えて飢えて、近くのスーパーに歩いていったものの、本当に買っていいのかわからなくてひたすら値段を見て高いんだな………と思って手ぶらで帰った、くらいか。多分。


買われる総菜弁当は味が濃くて濃くて、油がねちっこくて大嫌いだった。

ごはんがいつも足りない。

味が濃いと毎回訴える。草が食べたい。ドレッシングのなにもかかってないキャベツをボウル山盛りでもよかった。味のない草がほしかった。

奇異な目で見られる。頭おかしいと言われる。

父も何にでも醤油をかけて醤油の味しかしなくてもいい貧乏舌だったから、よく社会にでたら毎日こんなんだぞと無下にされた。

父は甘いものも大好きで、よく某ドーナツを買ってきた。

ケーキなら苺のショートケーキしかうけつけぬ、ドーナツなら、といつも同じ味。飽きたけど甘いなら、とりあえず食べる。


高校の途中で、何故か朝がメロンパンから食パンとちゃんとしたおかずになった。

出されたものを残したことが、みやこは無い。もちろん食べる。

そうしたら鬱が劇的に改善した。



「寝たら鬱退治、朝飯はヤンデレ防止」

それから4年は座右の銘だった。



その1年後くらいに、

「何故こんなクズに優しくする人間がいるのか?」

という根本的な疑問は、

「そいつがいい人ぶりたいし自分以外の有象無碍に、人型をしているみやこも一応一緒くたされているのだ」

とついに答えが出た。

それから灰色の世界は半年に一度色が付き、3ケ月になり、1ヶ月になり、2週間になり、1週間になり、1日おきになり、

そして灰色と色が逆転して交互で鬱の日、2日おきの鬱、3日おきの鬱、と感覚が開いていくようになって、ついに大学で鬱が治った。8年目だった。

コミュ力は無いままだったけどな。



ここまでで思うのは、

正直、食事や栄養のことを親は全くわかってなくて、みやこのボロボロの内臓は多少なりとも影響あるのではなかろうか。

親のせいと言うつもりはないけれど。

でも健康は本当に大事だ。健康でなければ辛い。みやこはずっと辛くて、本当に去年までずっと未病か病気で、その状態しか覚えがなかったのだろう。

去年動けるようになって、こんなに健康な体は違うのかと、今は身体各所のコリをほぐしている、前よりも筋肉も神経も敏感に、意識と連動してなんとなくわかるようになってきた。



あのひとはほんとうに言葉が通じない。

単語と一文しか通じない。

文章も意思も通じない。

それでも一人っ子だし生活力もないし、祖父母は全滅で何も喜ばせてあげられないことばかりだったから、ずっと実家にいる。出る勇気もなかったのだけれど、多分まだ出る時分ではなかった。

何度も口論になり度々の怒鳴り合い、年に一度は部屋中をひっくり返して取っ組み合った。そういうのを好む人たちではないが、残念ながらみやこは暴れ足りなかったんだろう、若かった、発散するところがなかった、迷惑をかけた。

それでもどうにかこうにか社会人未満な社会人(もどき)となり、口だけはいっぱしになり、(昔から口だけは減らない)

「なんでわからないんだ」「いやわかる」「いやわかってるはずがない」「わかってるって」「わかってたらそんな言葉や態度になるはずがない」「わかってるってんでしょ」

!の数は省略しよう。

みやこは何度も何度も自分にできる限り言葉を砕いて説明して、そしてふと気付いた。


(ああ本当にわかってるのか?実はわかってるのかもしれない)


ただ手段や何もかもが違いすぎて、わかってたって同じものにつながらないけれど、お互いわかりあおうと足掻いた結果が、それなのかもしれなかった。

ただ相手の言葉を信じるしかない、実感の伴わない「わかってる」。

結局は誰もが孤独で、わかってもらおうなんて方が間違っている。

いつだったか忘れたけどこないだ読んだカイジでも言っていた。57億の孤独…!ただ交信する…!

カイジは麻雀編に入ったけどちょっと中弛み感がありますね…まだ計画通りのイカサマが生きてるからか(先は知らないけどどうせ計画崩れるんでしょあのギャンブラーは)ヒリヒリしない…


閑話休題


とにかく、だから、わかってくれるかもしれない感覚を持つ相手がいたとき、喜んでしまう。

いやいっそわかってくれなくてもいい、興味を持って、なるべくならわかってあげたいよ君のことをなんて近付いてくれるだけで、多分めろめろだ。


それがみやこの感覚で、その直感に振り回されて大ヤケドしたわけだけども。感覚だって性差個人差環境差あるわけなので、みやこの求める感覚が相手の求める感覚でないこともある。大いにある。

ああこの世は戦略だ。20も半ばになってようやくそういう準備や戦略の大切さを知ってきた。勝率50%まで持ち込める勝負でなくてはただの無謀…!(どんだけカイジ)



こんな話だらだらと続けて全くどうしようもない、結論だ結論。


そう、みやこの形は、多分、親からもらった傷でできていた。

多分、みやこだけじゃない、大きくなる過程でありとあらゆる外界からもらった傷が人格や態度に関わって、外界にどう対峙するかの要素になる。全てではないにしろ。

強い人、明るい憧れられる人、まっすぐ前向きな人は、傷というかは刻印、入れ墨のように美しく見せられる形の傷。

ネガティブで臆病で羨んでばかりの人の傷は、じゅくじゅくと治療もされず蝕んでいく傷。


そんな傷で、人の形は半分は影響されると思った。

思考する時、他人と接するとき、それは育ったものに影響される。多分。

そして、みやこがもし、もし万が一、他人と付き合い結婚やら子育てをする時が来るとしたら?

そしたら、きっと、母が自分にしたようにいい加減にしたり下手にああだこうだ口を出したり、思い通りに支配しようとするんじゃないか。

いやきっとそうする。何故か、多分、衝動的に、そうしてしまうと感じた。手に負えないもの、事態、そうしたものをどうにかしなくてはいけないとき、つい、咄嗟に、それしかできなくて。

怖い。怖い。ああ怖い。

みやこは自分に近いものに甘えてしまう、好きな男に、1年前アプローチしてみやこのことを知ってもらった、みやこを好きにも付き合う気にもなれないけど切り捨てることもできなかったあの甘くて優しい真面目なクズに、甘えるとひどい態度をしてしまう。

もし子供なんてものができたら、対象を変えてそうするんだろう。

自分のために支配するんだ、うまくいかなければあの手この手で、私を快くしてくれないお前は嫌いなんて態度で。

怖い、怖い、自分が怖い。

それは理性じゃない、本能なのか、伝統なのか、衝動なのか、何故それが一番嫌だった自分が同じことをするのか。

ああ絶対に子供なんて持たない。

持てる奴じゃないんだ。

自分が子供を持つということに心の底から恐怖して、まだ心から千切れも消しきれてもいなかった「甘え」は、多分こうやって潰していく。


もしも、もしも、もしも、

誰かと共同体を作る時が来るのなら、この恐怖を共有してそれでも優しさで包んでくれる相手がいい。

1人の方がずっとマシだけれど、その結果があの見た目も何も気にしない欠落社会失格人なわけだし、気にできるようになったらそれはそれで楽しいので、ああでも難しいね。

惚れた男は父親を憎み、死んでセイセイしたといった風だったけれど、彼もいつか繰り返すのだろうか、彼と似たおとなしくて外より家にいるのが好きで家事もできて年も近い、彼に必要なものを埋めてくれる女性と、どこまで自覚してるのだろうか、心からの喜びなのだろうかただの見栄なのだろうか。

まあ他人のみやこには立ち入れぬ話な。



受け継ぐということはなんなのか、きっと母もそうだったのだ、一生懸命やった結果だったのだ、自分が自分でなくなるということなのか、どこまでが自分でどこからが脳ミソのない本能なのか、

恋愛の延長から過去へ未来へ家族へ子供へ、そんな妄想に恐怖した2月末の発見。



そもそも子供を持つという妄想をしたのが初めてで、でも可能性として考えるということに鮮やかな新鮮さを感じた。

もしこんなイメージを負わずにただ母になったのなら、それは、きっと、すごい荒波だろう。