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好きなんてきもちは本能とかなにかよくわからないけれど凶悪で、理性の範疇外で、自分が手に負えない何かに振り回される皮膚に包まれた血肉の塊という気分になる。そういうものを通過儀礼として人間として作り変えられていくのではないか
好きというのは凶悪な欲求、自己承認、支配欲、何にでもなりうる狂乱さを併せ持っていて、同じ人間相手にそれをできるというのは、すごいことだと思う。
叶わなかったら何か別なもので埋めるまで(埋めても)悶々と中毒を抱えるリスクを負ってまで、それでも愛し愛されることを望んでしまうのか。
ここしばらくは仕事と勉強と技術に見た目に色々と忙しくしていたのだけど、たまにぼんやり思い出してアレはなんだったのだろうと余韻を考えてしまう。もうぼろぼろと泣かないくらいには踏ん切りはついたけれど、それでも。
この間、「本当に自分を見ているようだ」と言われた。中身一部がそっくりなことは向こうにも認識されているのに、お互いよくわかって居心地は悪くないとは思うけれど、恋愛対象にはならなかった。求められるものと近くにあるものはまるきり違っていた。みやこは求められない。
色々なことを思い出して、あれもこれも脈がなかった現れだったなんて、浸ってしまう。
もっと忙しくしていたい。気にしたくなんてない。自分も大概見栄っぱりだと新たな面に気付いたりする。