みやこのしこう

通称みやこ目みやこ科みやこ属みやこの、あんまりいないらしいみやこという生き物の生態のひとりごと綴じ。でもメジャー寄りではないけどオンリーロンリーってほど稀有ないきものではない凡俗。珍獣程度だろうか、ありふれてる虫程度だろうか、自分ではよくわからない。

もし1億円があたったら


今日職場でそんな話になった。




その前に長い長い前置きをしよう。


みやこは金がない。

ないというわけではないが、将来の見通しなどないまま学生を終えて、新卒はエコだのロハスだの自給自足だの夢を唱えて安定性の大事さを蹴った。

まあ、見た目も悪くひたすら鬱で、どうせこんな人材の良さを見つけてくれる会社などない、などと心の底から思って絶望してた学生だったからどちらにしろ普通の社会人はできなかったろう。

どうしていいかわからず落ちに落ちて死んだ魚の目をしながら一応はハロワに通って数ヶ月、友人からの誘いで有機栽培に入った。

安い。

まあ半分は療養のつもりだったが。

マクロビとか、よく噛んでとか、玄米とか、抗酸化作用とか、そういう世界である。ちなみにみやこは料理ができなかった(今もできると言えるほどではない)。

あの界隈もなかなかなもので、油断したら健康をダシにしたスピリチュアルやら、農協から外れてイイモノはあれど売れない八方手詰まり現象やら、本格的に資格としての農家になりたいなら⚫︎⚫︎など、ブラックである。ブラックということはビジネスノウハウと商品があれば大いなるチャンスになるだろうし、最近そういうのも出てきたけれど。


とにかく、四回りは離れた老人の雇用主と、数百メートル離れたご近所のおばあさんしかいない生活。

寒い。

金がないから工事現場のコンテナハウスに住んでいた。

隙間風どころではない、初雪その日に水道が破裂した。布団を何枚重ねても重いだけで寒い。骨身にしみて寒いの意味を初めて知る。毎日寒くて本当に眠れないし、ストーブの前にいても寒い。

その前はひたすら大きなハエと小さなハエとカメムシイトトンボがどんなにがんばって塞いでも出てくる。出てくる出てくる。

風呂も汲み取り式のトイレも汚いし虫がいる。

老人と2人暮らしでは生活に清潔さを求めるならどちらかがやるしかない。

みやこは元がひたすら不摂生で内蔵も免疫も機能低下していたクチだから、今は動けるが昔はキビキビ動ける可能性なぞ想像もつかなかった。

だいたい元気な年寄りの体力や働きぶりは化け物並だ。みやこは昔は歩きのみ体力自慢だったが、(毎日ひたすら歩くだけだったから)歩くしかできなければ肉体労働はできないのだ。

みやことはかけ離れていた。

畑で体が曲がって新たなコリを得て、寒さに日々やられていく。


空気は本当に綺麗で、水も美味しい。星もかなり満点な方だし、カエルや虫の合唱もそこで初めて聞いた。

春の雨が銀の糸のように光り、紅葉の彩りは美しく、空は広い。

東洋医学寄りの考え方や基本、ツボ、体や様々な手法も多少教わった。

食べ物もおいしい。食材そのものの美味しさは確かにすばらしい。間違いなくすばらしい。

10kg落ちて、脂肪がなくなり、半分ほど体も回復した基礎となってくれて、なにより新しい世界だった。


けれど足りないものもあった。


向こうには、ノウハウの教え方、自分と違うものに対してのアプローチや理解しようという姿勢、時間やルールの取り決め、フォロー要員や締める要員などの人員の多様性。食材を活かすたくさんの料理や工夫の知恵や自由。

なにせおじいさんと向かいのおばあさんしかいない。

向かいのいつも同じ話をするおばあさんに助けを求めるように会いに行って、「昨日夜トイレに起きたけど電気ついてたね」と言われて、ああもうダメだと思う。

筒抜けで口を挟まれるのがつらい。

向かいのおばあさん宅の家に一歩も踏み入ることを許されない(掃除の手間を考えたら負担なのだろうが)大きな犬だけが仲間である。

外に出たい。

有機栽培の勉強に、と言って無肥料の勉強会に出る許可を得る。

週一で家に帰ってお犬さまと会う。

他に用事や人恋しくて友人から誘われれば出かけたから、お犬さまの扱いが少しぞんざいになる。

テレビ放送のルパンを見てたらお犬さまがみやこの顔をじっと見ていた。

みやこはどしたん??と簡単になでて自分の部屋に戻った。

その次の週の、みやこが実家戻る予定の前日にお犬さまは亡くなって、その日の午前やけに歯が痛くて、お犬さまの歯は歯垢で腐ってどろどろで取れたことすらあった。小さい頃手がつけられなくて歯磨きのしつけができなかったから。

それが最後のゆったりしたふれあいで、会えなくて、あのときかわいがってあげられなくて、三日三晩以上泣き続けた。

それでもいい加減畑に行かねばならぬ。

あそこ以外のどこかに行きたかった。

ゆるやかに気が狂う。

部屋なんてどうにもならない。

逃げたい。

気が狂う。

さびしい。

誰か知らない人に会いたい。

ここにいたくない。

疲れた。

お向かいの犬さまもその次の月に死んでしまった。

老人しかいない。

話を聞いてにこやかに愛想してあげることはできるが、話なんてあわない。

おっさんと老人どもの人間関係。

未来が見えない。

野菜もありすぎて押し潰されそうだ。

売るところもなく処分に困る。

極限に追い詰められて、孤独が好きだと信じていたはずの自分に人並みの欲求があることを知る。

気が狂いそうだ。

狂う。


そんな思いが日増しに強くなり、2年目のそろそろカメムシたちが繁茂しそうな気配を感じ、とてもだるい。

お犬さまもいなくなってしまった。

体が重い。

向こうも多少金を出し養っているのに働きの悪い私に不満が募る。

それを切り出されニッコリすっぱりやめてきた。体はもうボロボロだ。


絵に描いたような、農業を続けてきた小柄で腰の曲がった老人というのは、そのために体を特化、進化させた結果だろうと思う。

太ってる人も、内蔵に食べ物の許容量を増やせるように膨張し、そのために特化、進化した結果だろう。

体は生活に合わせて変化する。

みやこは腰が曲がるのも凝って硬くなっていくのもまっぴらだった。

みやこはネット育ちの情報を食って生きてきた存在だ。

わからないものはぐぐれば大抵わかる。精神的なものは呑み込める。

昔は、調べるためにいちいち本を開き、なければ戻し、新たな本を求めるか、知る人に当たるまで聞き続けるか、自分で試して見つけるか、だったろう。

だから体は曲がるしそのために生きられる。

みやこは情報が入る、雑音が入る、一つの世界だけに属していない選択の余地がある。逃げられる余地があった。

そこの齟齬が、矛盾が。


みやこに足りなかったのはひたすら自然一本でやっていく熱意、愛だ。

そんなものがあるなら最初から自然系の研究者になっている。みやこは線を描くほうが好きだし、そっちを選んでいた。

研究一本で生きる覚悟がなかったから就職を探したのだ、本気でもないのにやっていけるはずがない。

あとは体力、新陳代謝、体温、健康、運動。

今あくせくあれやってこれやってと働いて、自由にテキトーに筋トレやプール行ったりしてできるようになった新しい世界、これもみやこに足りなかった。



そうしてみやこはお金大好きになった。

せめてインフラと健康の大事さを骨身にしみた。

今は体動かして、勉強して、旨いものを知り良いものを知り美しいものを知り、そういったものを運んでくれるお金を運用してみたい。

運用を、経験を、新しい世界にふれたい。

せっかくふれられるところにいるのだから。


自然とかは、自由でしばられず余裕のできたバカンス程度でいいよ、しばらくは。

昔あれほどしがみついて執着していたのに、今はこんなになってしまった。


もちろん、自然に体に経営に農業事情に貧乏に忍耐に、一生を預けるという疑似体験に、色んな人に、たくさんのことを得て今楽しくやらせてもらっているけれど。


あと、精神的な自由を得るまでに知った手法(NVCやら自己肯定感やらおぽのぽのやら)の世界も半分ほどあるけど、まあ今はいい。


しかし思い返せば全く色々な人生で楽しいものだ。


さて、いちおくあったらという回答。


みやこはまず予算を組む。

1.不労所得のための運用資金

土地代建設費デザイン費動線、まだまだ勉強不足だけど理想をいえばタイプの違ういい物件を3種ほどやりたい。当選金ならローン下りるかわかんないからなるべく手持ちの範囲内で色々相談。


2.身なりを整えるための資本金。

100万くらいで頭の先から足元まで数着と鞄とか枠を決めて。あと肌とかエステ的な奴とか、投資投資。


3.親にプレゼントとして数ケ所リフォームしたり家具新調とか。


4.配当つき終身保険。今ならまだまだチェックも甘い。


5.資格とったり日々の生活に多少潤いやいいものを増やすために月いくら投資可って枠を決めてそれ用と、予備貯蓄用の口座を作って分散させて。


6.で、上記でいくらと%で予算立てて、余ったらハワイでも国内でもパーっと有給使って1ヶ月か2週間か旅行にでも行こう。

本や寄付や美しいものになんかしてもいい。

まったり、のんびりゆったりゴージャスに広い世界を味わいたいな〜そんな残るか知らんしけど。



ふくらはぎ以下と腰から上に肩もみ機使いながら。

そんなかんじ。みやこ。すやぁ。