沈黙
沈黙には様々な意味がある。
肯定、否定、暗黙の了解、否定、反抗、などなど。
沈黙は他者との関係の深さを物語るものでもあるし、コミュニケーションのひとつでもある。
誰もいなくて沈黙になるとしても、物事に集中しているのかただ退屈なだけかなど、その状況や何事かとの関係を表す。
沈黙は権利でもある。
黙秘権があるように、あの界隈のことは無知に過ぎるので違うかもしれないが、被疑者だか被告人だかの最後の砦といったイメージがある。
最後の砦。
唯一許された権利。
世の中には様々なコミュニケーションがある。表現がある。
それは他者に自分が一体なんなのかを伝えるものだ。
言葉も見た目も表情も態度も行為も色も線も空気も、そのままひとりであるだけでは、ただ存在しているだけ。
他者との違いがあって初めて「これが私なのです」との意味を持つ。
きっと、その違いを、何を、どう認識し、何を認識しないかがそのひとの形だ。
認識し、どう意識し、どう表現するか。その表現が多様で自在な者ほど、強い。
沈黙で反抗するのが許されるのは大概子供までだし、
表現の幅の自由があるということは、やはり「強い」と思う。
では沈黙とは弱者なのか。
なにも主張できない、なにを主張したらいいかわからない、主張する手段がない、そしてできることが沈黙して事件がすぎるのをやり過ごすしかないというのは。
ただ二人のみ共有できる、静かで穏やかで些細な幸せというのは。
その是非やそこに宿り惹きつける一種の美は、とりあえず今置いておくにしても、やはり強弱でいえば儚く脆く弱い気がする。
いや特になんでこんなこと思いついたかって、惚れた男が30もそこそこすぎてるくせに都合よくないことにはひたすら返事しないで沈黙するしかできない奴で、黙ることの意味はなんだろうってぼんやり思ったからなんだがね。
頭いいくせに恐ろしいほどガキだし経済観念その他が幼稚なんだよなぁ…
それだけのはなし。