みやこのしこう

通称みやこ目みやこ科みやこ属みやこの、あんまりいないらしいみやこという生き物の生態のひとりごと綴じ。でもメジャー寄りではないけどオンリーロンリーってほど稀有ないきものではない凡俗。珍獣程度だろうか、ありふれてる虫程度だろうか、自分ではよくわからない。

銀の匙読んだ

※クソ長文



最近、仕事帰りに読んでるマンガのひとつが銀の匙なわけですが、(隣にたくさん自由に読める場所があるので、疲れてるからって読まないまま帰ったら一生後悔するので、これは譲れない)


わかろうとすることを諦めたくないという、非常に前に進む力をくれる教科書的名作だとおもいます。

各章で、うまいものを食べたら笑うしかないとか色んな名シーンもあるしね、荒川さん上手いなあほんと。


しかし、一度関わったものと手を切れずに関わり続ける方に進み続けるっていうのは、

逆に言えば関わらなかったものと関わる可能性を潰すということでもあるし、

そうしたら駒場やアキさんが八軒に救われたように、誰かを救う別の八軒のストーリーだってあったのだろうか、それとも八軒は彼らと関わらなかったら主人公足り得るほど強くなれなかっただろうか、なんて思ってみる。

まあそんなIf話しても仕方ないんだけど。


でも、立ち止まったり手を引けないというのはすごいような、強いけど、怖いことだなあと、ずっと色んなことを諦めて距離を置く術から始めたチキンは思う。

個人的な話に突入して恐縮だが、どうせ読む人もいないだろうから構わんかな。

いつだってみやこらしい感覚や行為が、そのままで誰かに理解してもらえたことがない。

その理解しない人間たちが一様にみやこをおかしいと判定にかける基準を、自分の感覚はずっと、いつも、いつだって、今も素直にそうだと感じることができない。

けれど、みやこを理解しない人間たちは手を取り合って常識だかなんだかを共通言語にわかりあえる、同類のフリをしている。

一皮剥けば互いに異なる本性がぶつかりあうくせに、大事になるまで仲良しです同類ですって顔して安心している。

その安心を、フリならいい、フリならみやこだってできる、ある程度距離を置いてそれらしく振る舞える。でも心から世界の真実のように疑わず、信じているように、違いを認められない人間がどうしても理解できない。

それは言葉や思考を必要としない獣じゃないか。

でも、そういう奴らばっかりなんだ。みやこの同種はいないんだ。ネットとか一部クラスタで同じような匂いを感じることもあるけど、現実ではまず見つけられない。まあ皆隠れるしね。

雰囲気や空気で短絡的に同種か異種かを判断して、断罪して、制裁する、手段が複雑になっただけで本性は暴力的な獣だ。

個人の感覚を守るには、潰されないようにするには、自分の言葉を、武器を、思考を巡らせるしかない。無駄な自分を削って削って、芯にある形を見つけ出す。

その芯の形だって、どうせ小さな小さな幼い頃につけられた傷でできてるんだ。

何かに傷ついて、それから身を守るように距離を置いたとしても、その記憶を忘れたら「自分はこういうもの」という形しか残らない。

何かに感動して、それが自分の身に刻まれれば、その傷は美しい刻印になって、それ以降の自分の行動や精神に影響を及ぼす。

傷が、心も形も、作る。

良い傷も悪い傷も等しく。


言葉はみやこの魂であり、抜け殻であり、記録であり、手段であり、友だ。弱い弱い泣いてばかりいた孤独の、唯一の友だ。それでも上手く扱えないのだ。どうしてだろう、もっと上手く扱うためには何を変えなくちゃいけないんだろう。

今までは、言葉を吐いて吐いて、何故⚪︎⚪︎はこうするのか?何をどうすれば普通の範疇に入るのか?これはあの人にとって普通か?あの場にとって普通か?そうやって何度も何度も分類のふるいにかけて、遠回りして、なんとなくであやふやな「普通らしさ」を手に入れた。

最近になって、やっとだ。やっと、「普通」との折り合いがつけられるようになってきた。

これも語ったら長くなるから省略するが、大人になるというのは、人間の社会・倫理・ルール・差別に馴染む側面もあると思っている。

社会では何かに皺寄せがいく、犠牲を強いられる。その些細な暗部に目を瞑る。そこで同じものを見て、見ぬふりをできる、もしくはそれを嗤って切り捨て踏みつけ敵意を向けることができるようになることだ。

それは弱いのだろうか強いのだろうか。そこに割り当てるエネルギー、努力は適正量だろうか。

他の人はどうやって普通を手に入れてるんだろう。

みやこは普通ができなかった。

どうしてもできなかった。

だから普通から脱落した者のきもちは結構よくわかる気がしたし、「普通の子」の普通でない部分を聞いて、普通と特別と異質の間を擦り合わせることができる。たぶん、他の人よりはそこそこできた。

今もできるかはちょっとわからない。

優越感や嫉妬や独占欲やイジワルも知ってしまったから。


閑話休題

世界を変えずに自分を馴染ませる弱さは、あの作中じゃ置いていかれる。

あの世界の個性強い連中は、基本的に自分の関わる世界にぐいぐい関わり続けて、自分が世界を変える側にいる。

八軒は、優しいし努力家で誠実だから自分の安寧のために止まれなくて、彼の目に留まったもの・八軒センサーに引っかかったもののために動き続けるから、彼の周りには似たような変える側の人間が集まる。類友。

その一方で、底辺で関わりもせず、救いも掴めないで(勇気が足りないなり運なりそもそも知らないなり)すれ違っていくその他大勢もいる。

だから、八軒の存在はすごい。

まっすぐで純粋だ。自分の打算のために止まらない。無私か?いや、無私じゃないだろうが…誰かのために全力になれる。

その結果、ふれたものを変質させる。一方で彼の目に留まらなければその光は当たらない、まるで神のようだ。

神じゃない、人間だ、努力と運で人間はそこまで誰か何かを変えられる。


けれど、もちろんそのための努力量もはんぱない。努力かつ周りに恵まれないとあんな風にはなれないのかな…なんて、一つのことを極められず、何者にもなれない弱さは思う。

不安なのだ、不安なのだ、でも信じられるのも行動するのも自分しかいないのだ。俺の信じる自分を信じろ。進み続けろ。メッセージを受け取ったのなら。



ちなみにこの2時間、サティのミニマリズムなら風呂に入りながらでも聞ける………!と流しながらストレッチしてました。

サティ、ピアノ少ししか知らなくて耽美すぎて好きじゃないイメージだったけどミニマリズムは好みだった。音コピするまで落としこんでやるチギショウ

明日休みです。が、お茶なので本当は朝起きなくてはなりません。

アホです。アホ。

どうして夜寝て朝起きることができないんだろう、いやそれが自己管理なんですが。

というわけでスマホ手放せおやすみオトメ


なんていうか、変化期入るまでもう語り尽すとこまで語ってサヨナラするわ。いつもそうだったんだ。

自分は変わるために旅に出るから、そのために、変わるそれまでの自分を遺しておきたい。自分が切り捨てるかもしれない部分を、できる限り。かつて生きていた、今はもう捨てられるかもしれない自分のために。

そうしてどんどんぐにゃぐにゃになる。