みやこのしこう

通称みやこ目みやこ科みやこ属みやこの、あんまりいないらしいみやこという生き物の生態のひとりごと綴じ。でもメジャー寄りではないけどオンリーロンリーってほど稀有ないきものではない凡俗。珍獣程度だろうか、ありふれてる虫程度だろうか、自分ではよくわからない。

男というものは


全くどうしてクズい。


原因はいくつか考えられる。

少なくとも日本では、男だから女だからと求められるスキル・人生・人格が社会的にまかり通る。

肉体の性別と、中身の嗜好に男らしい女らしいと分類していったとき、体と中身が一致している要素が多ければ多いほど生きやすい社会ではあろう。

中身の「らしさ」「らしくなさ」によって人生がプラススタートかマイナススタートか、それともイーブンからスタートか、その差は結構大きい。

もちろんそれが全てではないし、体と中身がコテコテの男あるいは女でも見た目が不利であればそれはそれでつらいだろう。求めているものはハッキリしても誰もお相手になってくれないとか、ありそうではないか。

そしてそれはきっと非常に苦しく、だから化粧なりダイエットなり、腹筋割ればモテるなり金あればモテるなり、そういう短絡思考に結びつく。

いや、短絡というまいか。実行できるなら一番現実的で確実で効果テキメンな方法なのだから。


けれど、スタートが順風でみんなとうまくやれていると信じて進んできた男ないし女は、個人的に年をとると大変苦労すると思う。

まず、リア充になりやすい。

部活とかしてみたり(みやこは帰宅部ほぼ一本、一年だけ不人気なサークルに不人気なみやこになら頼めば人員にはなるだろうという感じマイナーなサークルにいたのみ。学生時代はただ1人でいるのが大好きで飽きなかったし当然だった)、

アイツイケてんじゃね?と思ったらアドレス聞いて連絡とってみたり、

周りともうまくやれるし彼氏彼女も何人か経験済み、

就職も培ってきた人脈を使えたり、そんなものなくてもコミュニケーションとれて人脈作れて就職できたり、

そんで特に男だったら将来性あるとしてそこそこの女(嫁に行けるよう家庭的なスキルや女らしい見た目を保持している女)がくっつき20代前半やら中旬で結婚していき、

などなど。


みやこは女だから特に男に関して目につくが、個人的にそういう男はクズい。

男自身は(職種にもよろうが)真面目で仕事を朝から晩まで否、寝ながらすら仕事のことを考え疲れに疲れて、大変であることだろう。

だが、そういう「普通」の男でも、周りとうまくやれて協調性を大事にしてきた男ならば、同僚なり友人なりにノリで浮気やら他の女やらキャバ嬢デリヘル、そういうのを煽ってくる奴がいると(そこそこいる)、浮気率は結構上がる。

というかちゃんと10代もこなし20代もこなしパパになっちまったらこの先40年とかひたすら子と家庭のために稼ぐだけの、などという未来しか見えなくなったら、それはそれで仕方ない気がする。


浮気しない真面目な「いい」男というのは、どこかしら協調性がなく人付き合いを心の底では嫌い、別な趣味か何かがなくては存在しなかろうと思う。


そのくらい「一般的な男がそこそこいる職場」ではそういうものが空気として存在している。

みやこは女扱いじゃないからね、下ネタめちゃくちゃ振るし女らしさなぞ振りかざさないから、みやこらしさを少しオーバーにして遊んで野郎どもにも混じる。あとみやこ自身がおっぱいとかエロネタ好きだから遠慮しない。だから数種の男どもが集まったときの空気のクズさは多少わかる(場によって違いはあろうが)

女らしく扱われるなぞ、旅先かいい飯屋か買物くらいで充分だ。お客様程度ならどっぷりサービスを受けることができるようになってきたから。

対価を払うなら使えるものは存分に使え。それが運用さ。と最近の座右の銘(即興)


とにかく、野郎オンリーの話というのは、みやこ自身は嫌いではないが、女という目で見たらクズだ。死ね。に値する。

別に男が特別汚いわけではないだろう。女オンリーの話だって男には聞かせられねーものいっぱいある。

しかし生活の面倒さをかなぐり捨てて稼ぐことに集中できて、家族と接点を持たずとも許され、自由があるのなら、誰だって高きから低きに流れうる。

生活の煩わしさは自由か不自由を大いに分ける。

ただ、男の方が許される地盤が強かったから、女が聞いたら死ねクズと思う発言もポンポン出てくるのだろう。

そんなことを言ったらダメ、など躾されて育った真面目ないいお嬢さま方を数人集めても、性別逆バージョンクズさが顕現する確率は男より下がるだろう。

誰か、自由を知り、自由な発言をする勇気に慣れた者がきっかけを与えないととりつくろったままのお嬢さまというのは、そこそこいる、気がする。気心しれた仲間内で、ものすごい毒を吐いたり、密やかな愚痴程度だったり、戦うように夫を罵りまくるなど、その形態は様々だろうが。

でも浮気やホスト通って〜ネタを吐く女性は同じことを言う男より絶対に少ない。

やはりそれは根本的な自由度に男女差があるのだろう。

男、とても責任もちたくないままたくさん手出すの好きな奴そこそこいるよな。


もちろん、お互いのパートナーを愛し、信頼し、ひとつひとつお互いのことを知り、教え、共有するものを増やし、希望や目標や夢や楽しさを味わっていくのが一番だろうが。

そのためにはお互いのこまめな愛情と誠意と行動が必要になる。何度失敗しても諦めず、「これが私の愛の形だけどどう?どうすればあなた向けにアレンジできる?」のトライアンドエラー

それが厭わしくない、むしろ楽しい、相手を思って何かをしたい、そういうのは幸せの形だと思う。

少なくともみやことお犬さまはそうやってパートナーになっていったし、だから子供の時より犬と一緒にいれない今はあそこまで仲良く相棒にはなれないだろうから、みやこの犬はあのひとだけで、次を飼う気が起きない。

ちなみにみやこは起きたら声のトーン3段階ほど上げ、「おはよーかわいいねー今日もかわいいねー大変すばらしくかわいいねー毛並みも美しやいい香ばしい匂いおいしそうだねーほっぺむにむに最高ですねーお耳もきれいですねーしっぽふさふさかわいいねーあんよムチムチですねーお元気ですかーごめんね朝起きるの遅くて代わりに3時間散歩行こねー(延々と続く)」

などと毎日やっていた。

だって実際すてきなお犬さまなのだから、そのすてきさをアピールして知ってもらわなくてはいかぬ、みやこの親はあのお犬さまのすばらしさ賢さを10年は信用せず8年はバカ犬と言い続けた、だからみやこがみんなの分以上に毎日毎日かわいさを教えて愛さなくてはならぬ。

それは全く面倒じゃなかったし、数時間離れれば再開ごとにやったから、用事のない日は1日100回以上はとにかくかわいいと言い続けた気がするが、やりたくないと思ったことは一度もなかった。

みやこも最初うざがられてもそう伝えるのもぎゅーぎゅーちゅっちゅすべすべするの大好きだったし、むしろいくらでも尽くさせてほしかった。

だから、そんなみやこにとって「好きで一緒にいる」ということは、「こまめに愛情表現する」と同義である。

言葉で、態度で、仕草で伝えられるもの全てで好きと伝えなければ伝わらないのだ。

伝えようとすることしか伝わらない。

伝えないのに、日頃感じている疲れなどがリセットできてなければ、嫌な気しか伝わらない。

そこに周りと仲良くしたい奴が浮気だの煽られて帰って、100%愛情表現できるのかといえば、正直みやこは胡散臭い。

こうして夫婦は他人になる。節目節目で現状などを確認するうちは大丈夫だろうがね。

少なくとも日本人男性はもっと気持ちや褒め方をうまく表現するのを練習しなくてはならぬ。クソレベルもそこそこ多い。イタリア人とかベトナム人とか見習えってみやこは思う。

同じ言葉でもテンションだけでも明らかにオーバーでも、好きという顔で褒めて褒めて褒めて褒めて上げて上げて上げて上げればだいたいみんなまんざらでもないさね。


ちなみに一生懸命がんばってきたリア充がんばるマンこそ無意識他人の感情汲み取れないクズなので、本当に寄り道脇道挫折の少ない奴は嫌いだ。

そういう奴のそういう所は、改善しろと言って改善できるものではないから、多分いつか本人がふとした瞬間に気付くか、気付かないまま死んで次の次の次の人生でもあるのなら気付くか。

そんなものだろうからみやこはとりあえず嫌いだと言うのみ。

もちろん女でもいるけどね、自分が正しいって疑わなくて「なんで私がそんな責められるの?!間違ったことした?!してないじゃん!」奴〜。ほんといくつになっても性別問わずたくさんいるからね、ああいう奴は魂が生まれたてなんだまだ死ぬ数が足りないんだと思うと、(さあたくさん死んで絶望するんだよ、若い子は美しいね、元気だね、火の粉のようだ、眩しいよ、見えねえよなんでそんな自分信じられんだよバカか)なんて思えるから精神衛生上良い。

幽霊妖怪なり魂なり、理屈で説明できないものは、あったっていいんだよなと思うと世界が広くどんな理不尽も鳥瞰できるから、多分存在が確認できなくても、目に見えないものにはなんらかの力がある。


などなど好きにあっちこっちふらふらだべりつう今日はお開き。

12月は忙しいよなあ。