みやこのしこう

通称みやこ目みやこ科みやこ属みやこの、あんまりいないらしいみやこという生き物の生態のひとりごと綴じ。でもメジャー寄りではないけどオンリーロンリーってほど稀有ないきものではない凡俗。珍獣程度だろうか、ありふれてる虫程度だろうか、自分ではよくわからない。

名前


初めてネットにはいった頃は、ちょっと長めのカタカナで、字数も子音も母音も本名と掠りもしなかった。


数年たって、オフ会やらイプ(10年近くで5回くらいしかしなかったけど)で呼びにくいから縮めてひらがなにしたけど、そしたら字数が本名と一致した。


今は、本名ではないけど周りから呼ばれてるあだ名。



よくネットで、リア充のハンネは本名に近いor本名からとって、非リアは本名と掠らない(一度だけ女性オタは本名寄りで男性オタは本名違うバージョンを見たけれど、多分人生経験の薄そうな意見だ)

などあるけれど、あれは事実だと思う。オフで会った人も、どの点かは様々にせよ現実に満足してる人は大体本名から一部とってることが多いし、ネット内でも、ああこの人は「周りから見られている自分」と「自分のありたい自分」が一致して、根本的にはなんだかんだ幸せなんだろうな、と感じられる人は、やっぱり本名率が高い。


そう考えると、「社会的にそうあってほしい性別・肩書等から想定される人格」と、「その人個人の趣味や性格」が一致している方が本名率は高いんだろう。

いわゆるノンケとか、男性らしい男性とか女性らしい女性とか、

個人的には「ハ??アングラこじらせたやクズの土壌たるクソオタ界に足踏み入れんじゃねーよシャバでまっとうにやってけるご立派メンタリティがよぉ」なんて思ってしまうが、それはぼくが捻くれてるだけなので。

元はアングラでまっとうからはじかれたクソ共の界隈だとしても、規模が広がり間口が広がり魅力的な作品が増えれば、まっとうな奴だって増えるのだ。仕方ないし、玉石混交で質全体の底上げになるのは良いことだ。

そうして見られる種類が豊富になる中で、作品から作者が透けて見えたり新たな違う人種や思想、生き方の可能性を知ることもできるのだから。



それにしても、みやこもそうだけど、なんとなく、与えられた名前が示す「自分」を好きであれば、それを「自分」として同化し、受け入れてしまうものなのだろうと思う。

昔の自分は自分が嫌で、周りの環境も嫌で、常に自分ではないものになりたかった、自分以外のものならなんでもいいのにな、なんて漫然と思っていたから、よくわかる。


他人から与えられた名前と、自分で選んだ名前からは、目に見えない齟齬が見えるのだ。



多分それは言葉使いやなりたいものからも現れていて、よくある「美人のツイは変態キチで、デブスのツイはかわいいキラキラ」というのも典型的だ。

見た目のかわいい美人は、ちやほやされることも妬まれることも好かれてイザコザに巻き込まれる面倒くささも知ってるから、「自分以外のものになれるネット」でまでかわいくなりたくない。

むしろかわいいが故のめんどくささも知ってるから、それっぽくなくなる。まあ、ちやほやされ足りなければかわいくすることもあろうが、多分、彼女たちは「カワイイ」にうんざりしている。

その逆として、かわいくないデブはカワイイカワイイステキステキとちやほやされないから、かわいいねと言ってほしいんだろうと思う。

お姫様になりたい、ステキな女子になりたい、その願望が出てしまうのだろう、かわいくなれば優しくなんでも叶うようなふわふわ甘い夢を見ていたいのだろう。

ちなみに、かわいくなりたかねーよ実際カワイさなんてこれっぽっちもねーんだから、なんて、

お姫様になりなくたい真性のひねくれたデブスも、かわいくない変態ツイをする。

けれど元がステキになるセンスがないから、がんばって頭をひねって変態ぽく気取って、だんだん疲れて変態くさいことも言えなくなり、ただの距離を置く凡人になるのだ。

人間素直が一番長続きするコツだ。



それにしても、ふと思ったけど女性オタは見た目と中身がからめられるけれど、男性オタの見た目と中身を絡めた観察ツイはないよなぁ。

個人的に、こじらせてる人は見た目か性癖かどこかで、ああなるほどな…って感じの目に見えるこじらせ方をしてることが多い気がするけど

見た目に関しては男性全般のハードルはそんなに重要視されていないということか。

その分リアルだと職業なり年収なり就労時間がクソハードモードが続いてた形態なのだろうけど。

どっちが嫌とかじゃなくて、こう、性別によって期待される人生や見た目が全く違う社会というのは、自由じゃない。

みやこは好きではない。

性別らしくない性格に生まれついたら、スタートに立つまで苦しむ比が半端ないってことだしね。

みんなもっと自由と責任とお金を学んで好きに自己表現する余裕があればよいのだ。