みやこのしこう

通称みやこ目みやこ科みやこ属みやこの、あんまりいないらしいみやこという生き物の生態のひとりごと綴じ。でもメジャー寄りではないけどオンリーロンリーってほど稀有ないきものではない凡俗。珍獣程度だろうか、ありふれてる虫程度だろうか、自分ではよくわからない。

そういえば最近めっきりつぶやかなくなりまして

紙でめしにっき始めたからかな、過去の憑き物落ちて必要なくなったからかな


まあ名残のようにふと思ったので云々




1.「物思い」を想うこと。


「もの思い」の「もの」には、昔は「物事、理、目に見えないもの、おばけ、妖怪、憑き物」なんて意味もふくんでいたらしい

確かに、「目の前にない遠くのことを想う」という行為は、

いろんな真偽を問わず、可能も不可能も自分次第、現実や周囲をねじ曲げてよくない考えに憑かれる原因になることもあれば、今まで存在していなかった革新的な発明の元になったりする。

存在しない状態を表す「0」や、

重い凶器を持ち運ばなくても殺傷力の高い火薬や、

存在していたのに見えないから気付かなかった電気や電磁波や、

誰かを呪う妄執もおばけも

目に見えない遠くを想った無数の中から生まれた


日本語の「もの」は、そういう可能性を込めている。

英語のthingは、何から生まれてどんな意味を含むのか、

アイヌ語や、熱帯や極北や、ザトウクジラの歌は何を彼らの「もの」と見做したんだろうか、

水の中に、空中に吐き出された呼気になにが、

どんな栄養やミネラルや、気持ちや伝えたい意味がふくまれていて、それぞれの何が空気を震わせて伝わっていって、形になったんだろう



2.食べる


最近、なるべくがんばって食事に時間と心をかけるようにしている。

いかにおいしく、美しく、楽しく、味わって。おかげで休憩1時間の内30分はただ食べているだけである。他のことはできない。ちょっとストレッチ。

何かしながら食べると、それは気が削がれるからもう失敗なのだ。

一見無駄かもしれないが、ひどく効果を実感している。後であまり飢えてこない。

満ち足りなければ、餓える。きもちが切迫して、なにかを求める。

餓えると、気が散漫になる、疲れる、何か気を紛らわすものが欲しくなる、過去はそういう現象だったのだ。それが確実に減った。まだ完璧にものにはしてないけれど。


それができるようになって、ひとつのことにきちんと向き合って集中するというのは、快楽で、満足で、幸福である、と感じるようになった。まだ少しずつだけど。

自分はひとつの何かを選んだのだ。

一瞬を真剣に生きて、張り詰めた勝負をするように、他の漫然とやりたいなにかかにかを捨てて、狂ってるくらいに何かひとつを選び、そこから得られる歓びを最大限捕まえてやろうという、勝負。

勝負をしているのだ。

ひとつ食べるごとに。

それ自体が、歓びで、体を満たす。

目の前に様々な過程を経て「己を食べろ」と主張する元・命。

理不尽だろうと頭がおかしかろうと勿体なかろうと、その一瞬を最大限に吸い、吐き、生きられるように戦う。戦うのだ、濃厚に熱く血を滾らせるのだ。一瞬を、この時を、刻を水で薄めてなるものか。

最近すこし感じ始めた。漫然とした怠惰に、時の流れに負けたくない。あるもの、与えられたものを、最大限に味わい尽くした方が勝ちだ。

アナログの一本の線もきっと同じ。濃縮した命を込めろ、魂を削れ、削った分を奪え、補給しろ、そしてまた出せ、それが自分を満たしてくれる。



こう、寝るの遅くなる奴のセリフじゃないけどな!!!!!

早く寝たい…スマホ捨てろマジ

あと早く起きないと遅刻するから…改善したい…


アカギ風とか言っちゃだめな。

今読んだの10巻までだけど、鷲巣様編に入ってから視点が鷲巣様からなので、アカギの打ち方は6巻までとなんら変わってねーのに、それを知らないもう1人の鬼が主役で、これまでの1〜6巻で明らかにされていったアカギのすごさを追体験するみたいな感じになってる鷲巣戦初期編の感想。これからどう、誰視点なんかしら。アカギサイド解説はいるのかな〜

アカギが「確率で水のように薄めない」ならカイジは「57億の孤独、ただ交信するのみ」。なんかお気にのマイフレーズある(笑)大体初期っつうね




3.「世界の中心」


基本的に、世界の中心は自分だと、思っている人間である。


たとえば一人の人間にとって世界の中心は、法律とかルールとか、地殻とかマグマとか、太陽とか、重点とか、いろんな見方がある。

「あなたは世界の中心だね」と、たまに言ったことがあるけれど、まず理解されない。

理解されないことはわかっているから、大体、ついそう言ってしまう相手は気を許した相手にポンと出る、という感じ。

で、自分が気を許す相手は大概自己肯定感が低かったから、「?」からの「自分は所詮世界の底辺だよ」なんて言われてきた。けっこうね。

(と言ったって、最後に世界の中心だねって言ったのは1年以上前だから、今ならもっと色んな反応見られるかも。自信のある人なら違う意味で当然、とかかえしてくるのかな)


そうじゃないんだ、あなたの言う世界の中心は、人間の社会を動かすいわばエライ人たちで、自分は偉くないと言ってるんだろう。それはわかるよ。

けれど、そういう意味じゃないんだ。

その底辺にいるあなたの半径何kmかを切り取って?その中で生きてるのがあなただろう。

(ああ、あっちが上だ、あれが偉い、ここが下だ、ここはダメだ、だから自分はダメだ)

なんて思う、そういう形の世界を作って、そういう世界を見つめている、その世界の中心はあなただ。

その世界はあなた(もしくは誰か下層がいると都合のいい上位者が無責任に煽って)が作り上げて、自分に言い聞かせて見せているものだ。地動説を自分で確かめたのか?


例えばミクロだったら

魚とかサシンとかザリガニとか植物とか、たまに新天地を求めて水流や風に乗って移動するけれど、個体は一筋の沢で一生を終えたりする。

一筋の沢が、どんなにたくさんの生き物がいて、何が食べられて、何が食べるのか、その出会いの数やルールは、たぶんトータルすれば人間とそんなに変わらない。人間とはスケール、世界が違いすぎて比べられないだけで。


マクロだったら

量子が生まれてぶつかって融合して電気になったり、水素になったり、鉄になったり、恒星になったり、最期に爆発したり冷えて固まったり、そんな一生もある。人間は塵ほど小さいけれど、星は星で星雲だとか後年だとか暗黒物質ブラックホール重力スペクトル、色んな理、ルールの世界で生きている。


人間だって、そうでないものだって同じだ。スケールが違うだけ、人間の世界、理の外にあるだけで、それぞれの個体が一生に出会う感動の量は、トータルすれば同じくらいだと勝手におもっている。

それぞれに、それぞれの一生がある。比較したり、はみ出たり、食って食われて戦って。

地球の周りを星が回る天動説は、地動説にとって食われてもう笑われるけれど、そのことを本当に知っている、知るために全力を傾けた者はそうそういない。ただ「学校で教わったことを正しい」と、優劣の道具、ものさしにしているだけで、それは思考停止だと思う。

そのことについてもう考えない。

考えないのは自分。天動説でも地動説でも、第三の説でも本当はどうでもいい。

「自分はダメ」と唱えて作る世界から目を外して、横か外に抜け道を見つけて、ちょっと出てみたら意外と「上」も上一辺倒じゃなかったり、斜めやイレギュラーもあったり、同じような人間だったり、もちろん違う人間だったり、するもんだ。

どんなものでも、社会的、地位的、経済的、物理的にどこにいたって、何が見えてどう生きたって、あなたの世界はあなたの生きて動く周囲にしかない。

それが肉体をもった一個人の限界だ。

だからあなたは世界の中心だ。

天動説。


それを感じないで、ただ安穏と思考停止をして私は僕は底辺だから〜、と、横道も脇道も色んな道を見ようとしないのは、

(このひとは、このひとの知る、育ち、ふれてきた世界の外に出る気がないのだ)

(このひとは、自分の作った世界の中心で、自分は底辺だから何をしても変わらない、何をしても無駄、何をしても…と諦め続ける努力ばかりして、底辺に居続けようとするのだ、ただ慣れ親しんでいるからという理由で、慣れ親しんだところに居続ける努力をしているのだ)

なんて思う。

もう努力しまくって、これまでの自分が死ぬほど、それこそ天動説から地動説に世界が変わるほど、足掻いて足掻いて、でもダメだったから、変化を信じる余裕も希望も周囲が取り上げてしまって、それに自分は負けて諦めてしまったのかもしれないから、人の決意に何も口出しはしない。

きちんと戦うということは、教育を受けるか、強さを持つか学ぶかして、きちんとした手順を踏まなくては、転んで失敗して痛いばかりだから。

なにがそのひとにとって幸せで不幸せかも知らないから、変化を嫌がる人は多いし、ひとを変えるためには最初から最後まで見守らなくてはならないし、そのためにかかる労力は私には重いから、それ以上言わない。責任もてないことはしたくない弱さ。向き合わなきゃいけないかなあ、最近ちゃんと目線を上げて目を合わせることも、距離感の適切さも学ばなくちゃとおもうし。


ただ、私と近いと思った人にそう否定されたとき、1度は近かったのにもう違う道を歩んでる生き物なのかなあ、と繰り返しの孤独を感じていた。あのちくりとした痛み。

誰かみやこに共感してくれないかなあ

にっき〜

昨日と今日の対極っぷりがおもしろい(笑)

地に足つけてリア充というか恋人とか同棲とか営み志向の同期に囲まれた昨日と

作品とかセンスとか遊びとか独り身でオタ道を行く方々に囲まれた今日と

嗜好の違いはなんなんやろね

そして自分はどっちにも属せてないな〜と思いつつ仕事と好きなことがんばる〜〜〜

本日イベの買い物傾向もこれまでと違ってきたし、満足なものばかりなので(もっと気になるの買ってもよかったと思うほどのハズレなし)満足

小籠包おいしかったしアクセも増えたし(知人との付き合いでもなきゃ増えない)

自分のやり方を馴染ませる、ちょっとずつ馴染んでシフトしつつはある気はするんだよね



なんか写メはぼっちじゃないと撮らないらしいので写メがない件について(笑)

早く寝よう!

生理周期のはなし

そういえば、ここ最近?1ヶ月以内かな


職場にバイトが3人いて、みんな男子高校生なんだけども(いや1人専門に上がったわ)


唯一の彼女持ちが、見るたびに(あれ〜こいつこんなイケメンだったかな?)と思う

太り気味だったけど気の利くいい奴で、彼女できた〜とか話してる時はなるほどこういう奴がリア充になっていくのか、などと思っていたのだが、もうそろ1年か?ん〜忘れた


考えうる理由としては

・夏が来たし彼女もいるのでマジがんばって痩せている(のかもしれない)

・肉でわからなかったが、痩けると意外と顔立ちが整っている(のかもしれない)


こう、自分が好意を持ち、それを返してくれる相手がいるというのは、なるほど気持ちが安定して努力や色んな体験につながり、良い奴になるのかもしれない。

いい奴製造循環メカニズム

なるほどこうやってイケメンは作られてるのかもしれない

これで外れてたら10近く下の若人に何的外れなことって感じでカッコ悪〜



しかし、何故そんなことに気付いてみたのかって、大変私事で恐縮なのだが(いつものことすぎる)(が、自分が少し気まずさを感じる程度にはあまり語らない分野という意味)



わしゃ生理クソ軽いのでござるよ

しかも全然来ない

ちな処女やで

今日ひっさしぶりに来たのでルナルナ見たら50日ぶり

3回か4回に1度はこのくらい遅くて、その他は大体35日前後、しかも来ても3日くらいで終了

元々生理痛を感じたことがなく、栄養状態クッソ悪いときたまに貧血の自覚症状があるくらいという、痛覚の鈍さ

それでも10代、20代前半はまだ7日くらいあった気はするけど、ここ2、3年かね………いつからかな………3日で終わるようになってさぁ、血は出るときは出るけど

結構まじめにぐぐったらホルモンが少ないとか子宮発達不全とか閉経早いよ?とか無卵子じゃね?とか可能性見えてきたので、しばらく様子見てから病院で診断してもらおかなとも思うのだが、そこはまあ置いておいて


しかし、何故か規則正しく33日とかで来てる時期があったんですよ、例外的に

当時は健康だと規則正しくて、遅れたらなんか体に悪いことしたかな?って思ってたんですが

ちょっと今改めて、それっていつだっけな〜とおもったら、おめー………

恋しちまってた時期じゃねーか……………

しかも、こう、偶然なのかもしれないが、あ、これ脈完全にない奴だって気付いた時期いきなり長期で来なくなって、

その後少々持ち直して、

丁度うだうだぐずぐず吹っ切れずにいたのを吹っ切った時期も、長期来てない

その後はどんどん来るの遅くなるわ不定期やらの一途で、定期?なにそれ知らん状態でな、

うーん







うわぁ(ドン引き)







ああ〜痛いね〜痛いね〜しかし恋をするっていうのは女性なんちゃら的な何かに乗っ取られるってことなんだね…勝手に妊娠こいよとか体言ってんのかよ…いや…ねーから…まじで…ねーから…それ無駄な卵だから…やめろ恥ずかしいじゃねーか恥部だろ汚辱


体が理性置いてきぼりの正直すぎてドン引きだわ………………

いや理性話してんだろ聞けよ体ってツッコミ入るわ


とりあえずこれは、あれですね、ときめきがないと、本当に枯れて若々しさってないもんなんだな〜とおもいました。

まあ、ときめいてあのレベルってのも残念だけど、そのおかげでようやく人並みに近付けたくらいの底辺スタートなので、どうせ衆目なんて気にしたって痛々しいだけだし、ほーれこの変わり種を見たまえ実験にでも使いたまえと堂々とネタにしてる方が、むしろ自分が落ち着く

もう秘することもなく笑ってネタにする程度には過去だから


今日そんな経緯で、基礎体温計(ふつうの体温計と違うらしいね!)の存在を知り、ボディタオルと洗顔ネットは別物と知りました。

女子としてのレベルが!!!!!!!!!ゼロい!!!!!!!!

だって全然女子してこなかったんだからわかるわけないやろ!!!!!!!!カワイイは作れるんなら、作る努力一切してきてないっていうか、カワイイから離れるようにぶんぶん振り回して放り投げて生きてきた奴にカワイイ要素あるわけねーやろ!!!!!!!!!

女子な常識ってなにさ〜なんなのさ〜〜

でも男子になるのも嫌です

男らしさ、ときめきはあるのかもしれないが、会話通じないでちんこで生きられるのは嫌いだ


性別のない子供か老人か獣ですね


老兵はリア充の幸せをぬるい目で見守り楽しみながら消えるのみ


きえろ〜

軽く沖縄慰霊の日について思うこと

6月23日ですね!

沖縄慰霊の日ですね!


昔いけ好かないおじさんが熱く熱くこの日を推してまして、多少なりとも私の中でもひどい大事な日だとは覚えられています。

その人はもう連絡先も登録してないしどこで何してるかもしらないけれど、あれだけはよかった。

でも映像や資料をちゃんと見たことないので、ふと思い立って今日ちょいと鉄の雨や鉄の暴風の図を見ました。

ぐぐれば出るいい時代です。

でも、見ようとしなければこんな日本で一番北の僻地では見る機会なくて、教育の機会とはなんぞ〜とおもったり。


で、見てびびったわ………

なんぞあの、いや、あの写真一枚でもまじ鉄が雨だし爆発しすぎだろ映画も最近ご無沙汰の身としてはエッてなった

やだーーー死んじゃうーーーこえーーー!!!!


戦争とか政治に関する話はあまり好かれないけれど、

それを越えてあの場所には生死の限界、不条理、恨みや感動が集まり、魂が言葉や画から溢れている

伝えたい、伝えたいものがある

なにを見て、何が空を覆い、空気に溢れ、焦げ、ひりつき、どうやって死と触れ、生を感じたか、

ただの剥き出しの生死の叫びだけがある

具体的な言葉、曖昧な抽象的ななにかイメージじゃない、具体的に死や恐怖が

どんな形でどう現れ忍び寄り囁き体を操り何が見え聴こえ嗅いで、それにふれたとき何がどんな風に弾けたのか

どろりとジャムのように、何千もの針が弾けるように、真綿に首を絞められるように、麻に押し潰されるように、皮膚を1ミリずつ削られていくように、糸をいくつ切っても逃れられないのか、餓えがどのように締め付け、泥のような万の蛆に足をつっこんだように、誰にどんな形の死と絶望と苦しみが襲い、生きられる歓びがどんな形で輝いたのか

そしてそれはなんのために何が原因で引き起こされたのか


こういう、私のような極度の原作厨

誰かの極限の感情を、伝えたい助かりたい繋げたいというきもちを食って生きてるような空っぽの遊び人は、

こういうところに最終的に行かねばならぬ、というそんな予感を感じました

受け取るために伝えるために、自分みたいな奴がいるんじゃないのか?


最近はちはやふるのおかげで、「日本」の衣食住、言葉や感性を学ぶのが楽しくて楽しくて、今はまだそういう裏打ちを広く深く得る時期で、そうしたらきっと北海道でも沖縄でも深く深くつながるための道がつながるはず

歌合わせってのも表現の追求勝負でなぁほんと

深さと正確さが要る

今日仕事してておもったこと



・走りまくって汗かくほうが、のんびりの日より調子いい。着替えロッカーに仕込んどこ?な?


・精度を上げる。

持つときも出す時も腰曲げるときも貼るときも動くときも、全体的に精度を上げることに気を配るほうが、無闇にスピード意識するより効果的だし引き締まる。

趣味でもこないだ潮描けね〜!!!ってなったのは、人間の目にはケモより人間の方が正確に誤差を判別するから、やはり人間をかくほうが精度が要るからだ。


運指も知識も熱意も、精度がたりないんだ。うんそうだ。もっと深く、細かく、気を配ることに意識を


・基本的に飽きっぽいの忘れっぽいで、誓ったってきちんと継続できない奴なんだけど、

例えば自分がなりたいもの、いい方を選ぼう〜って思ったって、喉元すぎれば暑さを忘れて、首だってゴキゴキ鳴らしたり色々治ってなかったりするんだけど、

何日かたつと、何か別の形でアプローチしたり発見して、その「いいもの」の一部を具体的にして引き継いだりする。

今日なら精度上げようとか、これまでも具体的に変わったり取り入れられた生活習慣とか、ちょっとくらいあるし。

そうやって形を変えながらできるようにしたものから、だんだんできることが発展したり、ある発見に別の価値観や発見を付加して、遠回りでも結局できるようになってたりとか。

忘れつつも形を変えつつも、一部は忘れていない。

スピードは非常に遅々としてるけれど、手広くあまねく多少は目を向けられるのが自分の強みなのかもしれない

これといった特技はないけど


・数字は外国語ですよ?0.1.2.3...て記号は、ひとつある状態、二つある状態、的な形容詞ですよ?だから「存在しない」を形にして、可視化、目に見える状態に存在しせた0は画期的新発明なんですよ?まじインド。

こうな〜高卒で社員の子とかぴかぴかつやつやふにふにまっしろちゃんでかわいいけど、知る楽しみ知らないままま大きくって、1つの社風に染まるだけって、知ることから感動拾い食いして遊び人として大きくなった身としちゃすげーもったいねーって惜しくなるんだよな〜

数学も言語で世界観表してるんだよ〜たのしいよ〜数字だと思わないアプローチして馴染めばいいのに〜

まあ、ぼくも世界観覗くだけで満足して使いこなす練習くそさぼってたんで成績悪かったけど

は?なんで数で示す学問が存在してるかって?それ自体が美しくて誰かを魅了してきたからだろ

美しくて、知りたくて、近付きたくて、覗きたくて、ふれたくて、目に見えなくてもそういう世界があったからだろ

ぼかぁ努力しなかったから全くクソほども扱えないけどさ


ついに自分のアルバムを見た

久しぶりに大掃除を再開させまして


本棚のひと隅にあった幼少期のアルバムを


ついに


ついに見たのです


自分のブッサイクさに失望したくなくて、アルバムなんて5歳か6歳だかから決して開くまい絶対見ない〜で通してきたので、初めて見た。

卒アルとか親が毎回買うけど開いたことない。

愛されてるとは思うんだけど、自分がそれに耐えられなくて


でもこんなに変わって、過去を突き詰めて、そういうガキだった自分はどういう子供だったのかなあと


なんか保育園の頃は予想外に貧相で細長いガキだった。男児。完全に男児。

んで限りなく写真から逃げようとして嫌な顔してる。

ピンのときや、写真見てない時はなんかぐにゃぐにゃ笑ってた。TPO気にしない自由さは昔からであった。

でもこの女児度0の格好から見るに母親だな、かなりストイック清貧理想に近づけるタイプだったんだな〜と今ならおも。忙しくて髪や服汚されるの洗う暇とかなくてとにかく機能性重視な見た目しかできなかったんだろうけど、完全男児。

バラティ系の番組居間でかかってるの見たことないし

健康的で正しくて部屋綺麗なのはいいんだけど、あれで攻撃的かつ支配的かつセンスが無いのやめてくれたらうれしいんだけどな〜最近は前よか超超ましだけど


でも小学入学したての日付のとき、なんか微妙におかっぱまで伸びてて、なんかかわいい花の服着てて、そのときだけ女児に見えた。

せめてそれを維持できたらまっとうな人間になってたかもしれないのに…

というかガキなんて格好と髪次第で性別なんていじれんのな。確かに女児って言われたことないし。

でもそれ以降かわいらしい格好したことないし、小学高学年あたりの写真の頃には、は?人間死ねみたいな死んだ生意気な目してた(笑)

まあね!写真に映った自分がクソブサイクでかわいい女の子じゃなかったからね!

逆走だよ〜


保育園の頃は、お絵描きの時間にクリスマスツリーの絵だけ描いてて(他の描ける対象として認識に上がる代物は技術的には描けなかった)、

(今塗ってる金色や銀色は、他の人間の目にも金色銀色なんだろうか。自分の目に黄土色や紫として映ってるこれが誰かの金色銀色に見えてたりしないだろうか)

(字はなんでこの音でこの形にされたんだろう。発音のどのくらいの誤差までこの音として扱われるんだろう。由来とかは聞いてない、どうしてこの一音を文字に留めることに決めて、その形をこれにして世界が広がったんだろうか。別な音を拾って、別な形の字の世界は何か代わり映えするんだろうか)

とか疑問すぎて疑問すぎて、誰にも答えもらえなかった記憶あるわ〜


今の自分なら、

光は粒子が動き回ってできる波、波長が作っていて、それを認識する目の器官が同じ仕組みでその波を捉えるから、少なくとも明度のバランスは、視覚器官の精度の差はあれどおおまかに同じ。

とか、

その理由で他の地域、歴史では違う字や音、伝え方があるんですよ。

とか、答えられるんだけどな〜

小さい頃の自分の疑問が、今の自分の感動したものにつながってるっていうのが、繋がってるというか自分なんだな〜ってしみじみする。

でもそういう疑問に向き合ってしっかり答えてくれる他人がいれば、自分は人間嫌いこじらせなかったのかな〜

わからんな〜

いいけどね〜

やはり本は正義、言葉は力、支配は呪い


中学すぎると集合写真以外一桁しかないけど(写真映るの死ぬほど嫌いだしね、特に他人と映るやつ)、絵に描いたような萌はあはあクソオタブタ男だった。

いやーあれは自転車で通学するだけで職質されるわ。

なんか社会人近くなってメンタル落ち着くまで春とか毎日のように職質されてたしなー

いいかげんキレて無視して逃げたら、まっすぐ生きてそうな正義感男に追われて、まあ教科書財布と菓子パンの袋しかなかったから連中ポカンとしてて、

毎日毎日通学するだけで無実の人間呼び止めて点数稼ぎとかバッカじゃねーの累計どんだけ俺の時間奪ってんだよ、ついでにおかげで遅刻も増えましたー見た目判断で呼び止めて無実の野郎捕まえて今日もあやしい奴の素性を確かめたっててめーらの満足感のために冤罪で時間奪うんじゃねーよ給料もらってんなら仕事しろやむしろ奪った俺の時間に金払えや仕事しろバーカ、とか逆ギレして名前と署聞いてクレーム入れた思い出がある…

でもそれ以降職質されなくなったわ…なんでだろ

自分スッキリしたからかな


さてクローゼットの使わないデッドスペースにしまおう

自分総集編

たぶん、いやきっと、間違いなく去年の自分が今の自分を見たら誰これと言うだろう。主に見た目と行動で。もう現職だったな。


一昨年の自分が去年の自分を見ても、本当に自分?と聞くだろう。やっぱり行動、多少見た目で。まだ現職じゃなかったな。


一昨々年の自分が一昨年の自分を見ても、わ〜すごいよくここまで変わったね〜と言うな。中身だな。前職始めてたな。


4年前の自分が3年前の自分を見たら、やっぱり変わっちまったんな〜と言うだろう。


5年前の自分が4年前の自分を見たら、すげー鬱治ってるやべーとか言うな。でもコミュ障は治ってないけどな


6年前の自分が5年前の自分を見たら、マンガ描いてる…だと………?!野宿ができてない…だと………とか言いそう。


7年前の自分が6年前の自分を見たら、絵を描いてる……だと………とか、ついに児童向けに陥落か…とか言いそう。


8年前から7年前を見たら、ついにクソオタ開業しやがったwww誰にも言わずこっそり東京日帰りとかwwwおまwwwぶふぉwwwとか言うな…


9年前が8年前を見たら、四苦八苦でも踏み出していることに勇気をもらうだろうし、

10年前が9年前を見たら、自由という存在を知り、感動し戦き世界がひっくり返ったことに希望を見出すはずだ。

11年前は、白黒だったね。日々少しずつ芋虫の蠕動のように少しずつ這って動いていたはずだけど、だからスタートまで辿り着いたはずだけど、あまり記憶がない。


毎年毎年、たぶん来年の自分は今と変わっちまうんだろう、今失うのが怖くてしがみつきたいものは、別れの予感を感じているからなんだって、そんな風に毎年恐怖に駆られて描いたり動いたりどっかに行っていた。

ああ自分は来年もこの場でこの愛したものを、誠心誠意心から愛して描きたいと思ったものを、それが与えてくれた感動を、来年も描いていられるんだろうか。

失わずに変わらずにいられるんだろうか。

この創作の場にいられるんだろうか。

こんなに愛しているのに。

こんなに愛しているのに。

自分はこの愛を裏切らずにいられるのか。

そんな恐怖。

無意識で答えを知っていた。

自分は変わってしまう。


そのスピードが、振れ幅が、年々加速度が大きくなっていて、変化の大きさに、

恐怖に駆られるから、やろうと、とにかくやろうと、変わってしまう前にできなくなる前にやらなくては、と実行して、間に合ったものもあれば間に合わなかったものもある。質よりも量、スピードと、とにかく勢いだけで筋とかシナリオだけの未熟すぎるものもたくさん、たくさん。

できないまま果たせないまま、未だにいつか、と思っているものもある。

その程度しか身につかなかったものも、できなかったものも、知らないものもたくさん、たくさん。

腰を据えて作品を形作れる友人や知人は、何年先でも一本一本をちゃんと完成させて、どうしてそんなに、「自分はこれから先もそこにいる」覚悟なのか信頼なのか感覚があるんだろう。それとも、作りながら求めながらそういう風になれるようになっていったのか。

なのにどうして自分はこんなに流動的で

なのに自分のことばかり書いて、おまえはほんとうに自分のことが好きね、変わって、愛したものを変えて、自分も変えて、なにが好きなの


 でも変わった先は、密かに憧れながら自分には無理だと言い聞かせていたものに近付いていた。

密かに胸のうちから腹から湧いて出てきた予感が、自分の内にあったもの。

それが感じさせる変化の予感は、結局いつも正しい。

なりたいもの、憧れていたものには、すぐはなれなくても、1年か2年か、何年も積み重ねれば、なれる。

自分の中に全く存在しないものにはなれなくて、そもそも憧れて自分には無理だと妬み諦める対象にもならない。

何が存在しているのか、は実は、大いに人それぞれ違う。

だから自分の憧れを誰かが叶えてくれることもない。自分は、もうこれは人の行った古びた道では?なんて心配することもなく、これは己にしか感じられない実感を信じて、ただ突き進めばいい。

何度も何度も愛して、楽しんで、笑って泣いて、この場にいたいこの空気をいつまでもふれていたい、そう感じたときが、その楽しみの絶頂なのだ。

その予感は終わりの予感だ。負けたくないといつも思うのに、

重力のようにそれは、変化を音もなく連れてくる。いつの間にかその波に乗っ取られている。

変わる。変わる。

そう思うからいけないのか、黙殺してい続ければいいんだろうか、いやでも、それは、やってくるから、従わずには、

重力のように、

あんなにいとおしいのに

永遠にしたいのに



永遠を願うたびに、永遠は存在しないんだと告げる声を、自分は過大評価してないだろうか

永遠は無理だと、諦めさせるのは自分なのか世界の摂理なのか、


おまえはどっちだ






共に生きることはできないだろうか





最近は、専門がほしいと思うんだ。

専門を積み重ねる仕事がしたいなぁ、いや今はまだ、自分にできる究極の肉屋にまでなってからがいいけど。

あと、芸事とか、自分の体や言葉や思想を駆使して、何かを多彩に表現する歴史も好きなんだなあと思うので、飽きるまでうろちょろしてよう。

沼は待ってくれるし、時間だって1,000年も2,000年先も命はあるんだし。

何かを極める専門のドアが自分と出会えるその日まで自分を仕込まなくては、できないことが多すぎて多すぎて


そんな風に思う最近。


アカギおもしれーっす。一巻から天才だなっていうか、最初の戦略が福本せんせーの書きたいことで神回ジャンバラヤなんじゃないかと思う一巻。